マーティンの数あるラインナップの中で、最も人気があるモデル / サイズと言うと、やはりドレッドノートである。


ドレッドノート・モデルには、D-18、D-21(~1969年)、D-28、D-35、D-41、D-45などいくつものバリエーションがあるが、どのモデルも根強いファンがいて、現在もマーティンの中核となっている。
1990年代初頭のアンプラグド・ブーム以降は、フィンガーピッキングのギタリストを中心に000モデルがにわかに注目され、好調なセールスを記録し、新製品も数多く登場している。
しかし、マーティン全体を眺めるとやはりドレッドノートの人気は絶大で、幅広い音楽ジャンルで愛用され圧倒的なシェアを獲得している。
特にアメリカやヨーロッパでの売れ行きは日本以上で、ファン層の厚さを思い知らされる。
今回は、マーティン・ドレッドノートがいかにして金字塔を打ち立てたのかに関して、音楽シーンの歴史的な見地から検証してみよう。

マーティン・ブランドのラインナップの中で、ドレッドノートが絶対的な人気を博すようになったのは、実は1960年代のモダンフォーク全盛時代以降のことである。
戦前から50年代まで、ドレッドノートはジーン・オートリー(D-45)をかわきりに、カントリーやブルーグラス、ロカビリー・シーンを中心に人気を博していた。
しかし、まだその人気は一部のギタリストの愛用に留まっており、販売台数も限られていた。

60年代になると、アメリカを中心に世界的なモダン・フォークのムーブメントが巻き起こり、その中で多くのアーティストがマーティン・ドレッドノートを使用したことで、一気にその知名度と人気が高まった。
当時使用していた有名アーティストは、キング・ストン・トリオ、ピーター・ポール&マリー、サイモン&ガーファンクル、ジョニ・ミッチェル、ジム・クロウチ、トム・パクストン、クラレンス・ホワイト、ハンク・ウィリアムス、ドク・ワトソンなど名だたるギタリストが使用。
彼らのモダンな音楽性とともにドレッドノートの美しいギター・サウンドが世界中のリスナーへと届けられた。
そんなムーブメントの中で「マーティン=ドレッドノート」というイメージが定着して行った。

60年代中盤からのフォーク・ロックのアーティスト達もドレッドノートをかき鳴らし、またビートルズのメンバーがD-28を使用したことでドレッドノートを手にした人も少なくなかった。
確かにドレッドノートの力強いサウンドは、小型モデルでは味わえない迫力があった。

60年代末に登場したクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングは、新たなマーティン・サウンドを確立した。
メンバー4人が椅子に座り、再発売されたばかりのD-45を使って独自なアコースティック・アンサンブルを披露。
そのフレッシュでパワフルなサウンドは、ギター少年たちの憧れとなったばかりではなく、プロギタリストをも魅了した。C,S,N & Yの活躍は、アコースティック・ファンとロック・ファンとを結びつける重要な役割を果した。

70年代以降のロック / ポップス・シーンにおいても、ドレッドノートの存在は大きかった。
イーグルス、ジェリー・ガルシア、ジミー・ペイジ、ピンク・フロイド、アメリカ、ライ・クーダー、マイケル・ヘッジス、トニー・ライス、ニール・ヤング、ジョニー・キャッシュ、ボブ・ディラン、ノーマン・ブレイク、デヴィッド・ブロムバーグ、バーニー・レドンなど、多くの人気アーティストがマーティン・ドレッドノートを手にしたことで、その存在は揺るぎないものとなった。

70年代は日本でも多くのアーティスト、ギタリストがドレッドノートを手にしていた。
石川鷹彦や加藤和彦、ガロのD-45を始め、岡林信康、イルカ、マイク真木、かまやつひろし、THE ALFEE、オフコースなど、プロギタリストのステイタスとして多くのギタリストがドレッドノートを愛用。
当時日本では、D-28はオートバイ、D-45は小さなクルマが買えるほど高価だったが、「いつかはマーティン…」という思いは多くのアマチュア・ギタリストの心に刻まれていった…。

こうしてマーティン・ドレッドノートはギタリスト達の憧れとなったが、60年代後半からは世界中でマーティンのコピー・モデルが生産されるようになった。
70年代半ばには日本でも各ブランドからドレッドノートのコピー・モデルが発売され、市場はコピーのギターで溢れていた。
しかし、コピー・モデルの完成度が高くなるのと比例して「コピーではなく、本物のマーティン・ドレッドノートが欲しい…」という思いも強くなっていった…。