1992年に発売されたエリック・クラプトンの名作『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』は、世界的な大ヒットを記録し「ロック・ギターの神様」は「アコースティック・ギターの神様」としても語られるようになった。
これにより、80年代に低迷していたマーティン社は、一気に世界のトップ・ブランドへと返り咲いた。

マーティンと言えば、1883年の創業時から続くギターの老舗ブランドとして広く知られている。
製品価格が高価だったこともあり、1990年代までは「プロギタリストのギター」というイメージが強く、アマチュアにはなかなか手が出せない高嶺の花だった。
しかし、90年代半ば以降は廉価なモデルも次々に登場し、今やマーティン・ブランドはビギナーからハイエンドまで、全てのギター・ファンに向けたモデルを生産している。

マーティンでは、各モデルに一貫したシリアルナンバーが使用され、年の最後に製造されたギターのナンバーが公開されているため、ギターの生産量がすぐに確認できる。それを10年ごとに集計すると下記の数字となる。

[ 各年代におけるマーティン・ギターの生産量 ]
・1900年~1910年  計2,075本
・1910年~1920年  計4,645本
・1920年~1930年  計29,469本
・1930年~1940年  計31,417本
・1940年~1950年  計41,227本
・1950年~1960年  計57,728本
・1960年~1970年  計96,944本
・1970年~1980年 計158,667本
・1980年~1990年  計73,009本
・1990年~2000年 計277,191本
・2000年~2010年 計692,961本
・2010年~2020年 計980,763本

これを見ると、80年代を除いて生産量は大きく右肩上がりだが、1980年代だけは70年代の約半分しか生産されていなかったことが分かる。
80年代はテクノポップなどシンセサイザーを多用した音楽がブームとなり、またヘヴィメタルのシーンも賑やかで、アコーティック・ギター・シーンは賑わいを欠いていた。
そんな中、80年代末からメタル系アーティストの間で密かにアコースティック・ブームが盛り上がり、88年にTV番組「MTVアンプラグド」がスタート。
エアロスミス、ポール・マッカートニー、R.E.M.などに続いて92年に登場したのがクラプトンだった。

クラプトンの登場は、ギター・シーンに革命をもたらした。
それまで「マーティンと言えばドレッドノート」だったのが、クラプトンが000(トリプルオー)を手にしていたことで、暫くの間は000がドレッドノートを上回る販売実績を上げ、市場にあった000は一瞬にして姿を消した。
以来マーティン社は数年間に亘り000の生産に追われる日々が続いた。

その後マーティンは、ナザレスの本社工場のラインを増設すると供に、マーティン弦の生産ラインをメキシコ工場に移転、さらにメキシコでのギター生産ラインもフル稼働させ新たな量産体勢を作り上げだ。
そして、80年代に73,000本だったギターの生産ラインを10年後の90年代末には277,000本にまで急成長させた事実は、驚きに価する。

現在マーティン・ブランドでは、1年間に平均10万本近いギターを生産している。
一口に10万本と言っても、あれほどの高いクオリティの楽器を生産し続けることは、けっして容易ではない。
マーティンの本当の意味での凄さは、完成したギターがどれほど素晴らしい楽器であるかだけではなく、あのハイエンド・ギターを毎年10万本生産しているシステムを構築したことにあるように思う。