前回に続いて、有名ギタリストのインタビューの中から、ジミ・ヘンドリックスに対する思いを語っている部分をピックアップして紹介しよう。
今回は、あの伝説のギタリストから…。

[ LES PAUL ]

 まったく最高の夜だったよ。
私と次男のジーンは、ニュージャージーの自宅からニューヨークのコロムビア・レコードにマスターテープを持って行くことになっていた。
確か1964年か65年だったと思う。
私たちはとりあえずロディにあるナイトクラブまでクルマを走らせたんだ。
そのナイトクラブでは、いつもご機嫌なタレントが出演しているので、よく立ち寄るんだよ。
いつものように私がクルマを止めている間に、先にジーンが店に入った。
彼は走って行ったかと思ったら、すぐにクルマに戻って来たんだ。
「お父さん凄いよ! これは自分の目で見た方が良い」ってね。
私は店のドアのところに立って、暫くの間中から聴こえてくる演奏を聴いていたんだが、凄いショックを受けた。
そのいかした男は、ギターをメチャクチャに弾きまくっていたんだ。
グワングワンと弦をベンドさせて、まるで地獄のようにファンキーな演奏だった。
私はそれまでに、あんなにラディカルなギター・プレイを聴いたことがなかったよ。
暫く彼の演奏を楽しんでいたんだが、我々はその後ニューヨークへ行かなければならなかったので、とりあえずテープを渡してからまたクラブに戻ってくることにしたんだ。
しかし、我々がニューヨークから戻ったのは2時間後だった。
すぐに店に飛び込んで見回したんだけど、そのクレイジーな男の姿はなかった。
店のバーテンダーに彼のことを訊いてみたら「ああ、さっきのいかれたギタリストかい。彼はオーディションを受けに来たんだよ。でも、あまりにも演奏がクレイジーでワイルドだったし、とにかく音がデカ過ぎるので使うのは止めたよ」って言ってた。

そこで私とジーンは、FBIのようにそのギタリストを探しまわった。
ニューヨークとニュージャージーの音楽関連のところに電話をしまくったけど、誰もそのギタリストのことを知らなかった。
我々はしかたなく、そのギタリストを探すのを諦めたんだ。
それからしばらくして、ロンドン・レコードのウオルト・マグィアから連絡があり「君が引退するのはもったいない。久しぶりにアルバムを作らないか?」と言って来た。
私がそれに同意すると、しばらくして彼は私に最近のギタリストの音楽も聴かせた方が良いと考えたようで、何枚かのレコードを持って家にやって来たんだ。
それはまさしくハプニングだった!
彼の持って来たレコードの中に、私が探していたあのクレイジーなギタリストの顔を見つけたんだよ!
私は思わず「アッ!」と叫んでしまったよ。
さんざん探したあのギタリストがそこにいたんだから。
でもその時は、ジミの曲はすでに大ヒットしていて、私自身も何度も耳にしているハズだったんだけどね。
まっ、そんなわけで大喜びしたわけさ(笑)。

それから2~3年してジミがニューヨークにエレクトリック・レディ・スタジオを作った時、彼が私を呼んでくれたんだけど、その時に彼からいくつかの相談を受けたんだ。
アンプから出るギター・サウンドをスタジオの中でマイキングして、それと同時にギターのダイレクトなサウンドをアンプを使わないでコンソールにぶち込むといったアイディアについて、色々とアドバイスが欲しかったんだ。
彼はどうやってそれをしたらいいのか…、まあそんなことを知りたがっていたよ。
話の最中に、私が以前彼の演奏をナイトクラブで観て以来、ずっと探していたことを彼に話したんだ。
結局見つけられなくて、ある日レコードジャケットの中で発見した話の一部始終をね。
そしたら彼はとても残念そうに「オレは隠れていたのさ、分からなかったのかい?」って言ってたよ。

[ MIKE BLOOMFIELD ]
ジミの演奏を初めて観たのは、ジミー・ジェイムズと名乗って、ブルー・フレイムスをやっていた頃だった。
誰かから「ジョン・ハモンドのバック・ギタリストは絶対に聴くべきだ」って言われたんだ。
ある時僕はカフェ・ア・ゴー・ゴーに出ていたんだけど、ジミが直ぐ目の前の別のクラブで演奏していたので、観に行ったのさ。
その日以来、ジミは僕の目に焼き付いてしまったよ。
彼は僕の目の前で、全ての音を披露してくれた。
ストラト、ツインリバーブ、マエストロのファズトーン。
たったそれだけでね。
しかも凄いボリュームだった。

彼は「自分は歌はうまくないけど、エレキギターのことならよく知ってるよ」って言っていた。
チャス・チャンドラーがジミに言ってたよ「自分が歌いたいことを歌えば良いんだよ。何も心配することなんて無いさ。キミは素晴らしい才能を持っているんだから」ってね。
デビュー・アルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト』(1967年)は確かに素晴らしいけど、僕はセカンドの『アクシス・ボールド・アズ・ラブ』(1967年)の方が印象深いかな。
僕はこれまでに、ザ・フーも聴いたしクリームも聴いた。
それよりもっと激しいエレクトリック・ミュージックを沢山聴いてきたけど、たった3人であれほど躍動的なサウンドを作り上げたのは、彼らが最初だよ。

ジミはよくフィードバックを楽しんでいたけど、あれはおそらくヤードバーズを聴いてヒントを得たんじゃないかな。
僕はこれまでに、ジミのように見事なフィードバックのコントロールを聞いたことが無かった。
彼は「イギリスの伝統を全てぶちこわしてやる!」と言ってアメリカから出ていって、それを本当にやってのけたんだ。

彼がアメリカに帰って来たときはよくセッションしたよ。
1968年から69年にかけてね。
セッションのたびに2台の4トラック・レコーダーに繋いで8トラックでレコーディングした。
この時の音源をいったい誰が持っているのか「神のみぞ知る」だけどね。

ジミがギターに手を加えていたかどうかは知らないけど、彼は「トレモロバーに手を加えている」って言ってたよ。
だからあんなアーミングができるのかも知れない。
バディ・マイルスがジミが使っていたストラトを何本か所有しているので、僕も弾かせてもらったことがあるんだけど、とても弾きにくかったな~。
弦はヘビーだし、トレモロのアクションもヘビーだった。

ジミがチューニングをどうやっていたのかはよく知らないけど、トレモロを多用すればチューニングは狂うんだよ。
でも彼はそんなことはあまり気にしていなかった。
うまくベンドしながらそのままやってたよ。
フィードバックも自由自在にやっていたし。
それにアクションも凄かった!
かなり派手なジェスチャーだったけど、そんなことしながらも完璧にフィードバックをコントロールするんだから。
そりゃ誰だってあれを見せられたら興奮するさ。

ある時ジミの泊まっているホテルの部屋に遊びに行ったことがあるんだ。
彼はちっぽけなケイのアンプでずっとギターを弾いていた。
僕がシビレを切らして「そろそろ女の子でも探しに行こうよ」って言ったら、彼は「そんなのいつだってできるじゃん。それより、セッションしようよ!」って言ってたよ。